清華大学
第12回清華大学訪問(2024年5月25日)
5年ぶりに16名の会員が清華大学を訪問しました。
5月25日、参加者が清華大学の宿舎に到着。
雨に洗われた木々はとても瑞々しい。
陳先生の案内でキャンパスツアー。
清華大学の広大さと歴史を知りました。
大学内のレストランで雲南料理に舌鼓。
清華大学との交流開始時に窓口となってくださった馮峰先生にもお会いしました。
26日の午前は市内ツアーで、天壇公園、天安門広場、故宮(紫禁城)を見学。
15:00からは交流会を行いました。
陳先生の挨拶
12名の学生がショートスピーチをしてくれました。
審査の時間にお抹茶のサービス。
懇親会は架け橋Gの現役やOBOGたちも大勢参加して、懐かしい出会いもありました。
楽器演奏、歌、そして合唱で締めくくった3時間でした。
第12回清華大学訪問(2019年5月25日)
5月25日に清華大学を訪問し、交流会を行いました。2年ぶりの訪問です。
午前は日本文学鑑賞コンテスト。午後は学生の案内で二手に分かれて、ミニツアーを実施。夜はアジ風の架け橋グループの学生(大学院生)も参加して懇親会を開催しました。
前夜祭。日下部さんと王亜民さんを囲んで。
司会の楊雅捷さん。3年前の優勝者です。
1位 鐘希君さん
2位 張天寧さん
3位 劉夢羽さん
発表した学生とアジ風会員(前列中央は王成先生)
ランチタイムに談笑
学生の案内でキャンパスツアー。大礼堂をバックに。
夜の懇親会
陳朝輝先生と
テーブル毎に撮影
「春の海」を演奏する安川さん
架け橋の学生 王彦さんの演奏
Iメイトたちと一緒に
架け橋グループの学生たちと
第11回清華大学訪問団(2017年5月20日)
12名の会員が清華大学を訪問しました。
当日は、2年生のIメイト学生による「日本の口語自由詩の暗唱と感想の発表コンテスト」を行い、夕方からはその表彰式を兼ねた交流会が開かれました。
また、今回は新しい試みとしてコンテスト前のお昼の時間を活用し、昼食を一緒にとりながらIメイト学生とのグループディスカッションを行いました。
訪問の様子を写真でご紹介します。
19日の夜。日下部先生(手前右)を交えた結団式で
学生の案内で清華大学キャンパスツアー。大学中央楼の前で
図書館の日本語コーナー。ほかにも日本の専門書がたくさん並んでいました。
ランチタイムを利用して、グループディスカッション
詩歌コンテストの説明を聞く参加者
コンテスト風景
審査員の質問に答えるコンテスト発表者
講評をされる王成先生
入賞者と審査員のみなさん
全員で記念撮影
懇親会の席上で表彰式。1位の劉夢潔さん
懇親会
北京郊外の盧溝橋見学
大学案内
「2009年12月取材」
中国の大学の最高峰といわれる「清華大学」ですが、アジ風との交流(日本語教師の派遣とIメイト交流)は、2004年9月から開始し、5年目に入りました。現在、交換教授として滞日中の、日本語科主任教授の馮峰(ヒョウホウ)先生に清華大学についてお話を伺いました。
清華大学の歴史について
1911年、戦争賠償金(庚子賠償金)を基に中国の教育事業を支援する、というアメリカの主張で創立された。当初は「アメリカ留学予備校」の形であった。
総合大学→単科大学→総合大学と変遷
1952年、「学科調整」という政治運動の結果、文化系は北京大学へ、北京大学の工学部は清華大学へと入れ替わり、いわゆる「理工系のトップは清華大学」と世評が固まった。それまでは、清華でも数多くの文化系著名人を輩出した。70年代から次第に文系の設立が再開され、故周恩来総理の指示で清華大にも日本語学科が設立された。二期生までを養成したが、教師不足などにより、一時日本語専攻の学生募集を停止。しかし日中間の文化、経済の交流が深まるにつれ、日本語人材への需要が日増しに大きくなり、これに応えるため、1999年に日本語科が復活。学部生の第一期生を迎えた。2001年には日本語・日本文学の大学院生を募集するに至った。
日本語科の全容
学生は一学年約20名。10名ほどの大学院生を入れると、全員で90名ほどだが、女性が8割を占めている。教員は16名で、そのうち日本人教師は2名。私自身は、1988年から清華の教員で、日本語科の歴史みたいな存在ですね。
「アジ風」会員のみなさんへ
アジ風は、日本語科創設後、連帯関係を結んで共に日中関係の曲折を経験してきた。清華大学の日本語科にとっては、アジ風は自分の体の一部分のようにとらえていて、とても大切な存在と思っています。これからもどうぞよろしくお願いします。(談話)